土門拳写真展「和」-古寺巡礼第五集より- (写大ギャラリー) [01月16日(月)~03月25日(日)]
- 三十三間堂背面部分
- 瑞泉寺開山堂夢窓疎石坐禅像頭部
- 永保寺開山堂外陣東北隅斗?見上げ
〔写真展概要〕
土門拳の古寺巡礼シリーズは当初第四集で完成する予定でしたが第五集で完結いたします。古寺巡礼第五集に収録された寺院は圓成寺、般若寺、三十三間堂、瑞泉寺、永保寺、西芳寺、大徳寺大仙院,妙喜庵待庵、龍安寺、瑞巌寺で、夢窓疎石の足跡が多く残されている寺院が収録されています。
第五集に向けての撮影が進むにつれて土門は次第に夢窓の世界に深くのめり込んでいきます。「夢窓疎石の自らを見つめる厳しさと,上下貴賎なく受け入れることのできるふところの広さとやさしさ」を感じていきます。
「今にして思えば,ぼくは夢窓疎石の澄んだ視線に吸いよせられて,苔寺や永保寺や瑞泉寺に通いつめていたわけである。そして苔や石や池や石窟にカメラを向けているうちに,いつのまにか夢窓の世界にひたりきっていたのである。」
土門は鎌倉、室町、桃山時代の古寺に纏わる日本文化の「和」の心、穏やかさとやさしさをみいだしそれをカメラに納めました。
今回は第五集より日本文化の「和」に注目して写真展を構成しました。どうぞご高覧ください。
土門 拳 (どもん けん)
1909年山形県生まれ。中学時代より画家を志すが、家の事情で断念。1933年に営業写真館である宮内幸太郎写真場の内弟子となるが、報道写真家を目指し、34年にはドイツから帰国した名取洋之助の設立した日本工房に入社し、対外宣伝誌『NIPPON』で数多くの撮影を手がける。戦後は絶対非演出の「リアリズム写真」をカメラ雑誌などで提唱し、多くの写真家に影響を与えた。1958年『ヒロシマ』で国内外で高い評価を得、筑豊炭鉱地帯の悲惨な状況を取材した1960年出版の『筑豊のこどもたち』は10万部を超えるベストセラーとなる。その後、仏像や寺院、古陶磁などの伝統工芸品や風景など、一貫して日本の美を撮り続けた。
1979年に脳血栓を起こして昏睡状態となり、その後目覚める事なく1990年に心不全のため死去。
「古寺巡礼」(こじ じゅんれい)
土門拳の晩年のライフワークといえる日本各地の古い寺院や仏像などを撮影した作品。1963年に第一集が完成し、第二集1965年、第三集1968年、第四集1971年、第五集が1975年に出版され、全五冊にて完結した。 法隆寺から始まり、三十三間堂の撮影をもって終了した約15年間の撮影で訪れた寺院は39ヶ所を数え、テキストもすべて土門自身が書き下ろした。